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大阪地方裁判所 昭和36年(わ)4101号 判決 1969年2月27日

主文

被告人浅香を懲役四月に

同  多田を懲役三月に

同  中井を懲役一〇月に

同  荒木を懲役八月に

同  中川を懲役六月に

同  杉本を懲役四月に

同  山口を罰金一五万円に各処する。

ただし、この裁判確定の日から被告人浅香、同多田、同杉本に対し一年間、被告人中井、同中川、同荒木に対し二年間右各刑の執行を猶予する。

被告人山口が右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

被告人浅香から金六万五、〇〇〇円を、被告人多田から金四万円を各追徴する。

訴訟費用<省略>。

理由

(罪となるべき事実)

被告人浅香は昭和三一年から堺市立月州中学校国語科担当教諭として勤務していたものであるが、そもそも中学校教諭として教育に携わつている者は、いかなる教科用図書(以下教科書と略記する)を使用するかは教諭本来の職務である教育の実施と密接不可分の関係にあるから、上司であり、かつ教科書採択の権限を有する教育委員会からその採択に資するため、教科書の適否につき意見を求められ、又は適当な教科書を選定して報告するよう求められたときは、これに応じて同委員会を補助すべき職務権限を有するものであるところ、同三六年五月三〇日、同市教育委員会から同三七年度に同市立中学校一五校で使用する国語科教科書の採択に資するため教科用図書研究員として各出版社の同科教科書を調査研究し、その適否について意見を報告されたい旨の委嘱を受け、もつて同市教育委員会の教科書採択の事務を補助する職務に従事していたもの、

被告人多田は、同三三年四月一日から豊中市教育委員会事務局指導課に国語科担当の指導主事として勤務していたものであるが、同課は同委員会の権限とされている教科書採択に関する事務を分掌しているので、上司の命があればいつでも同市立中学校六校で使用する教科書の採択に関する事務(単なる機械的、手続的な事務に止まらず、教科書の適否につき意見を述べることも含む)に従事すべき職務権限を有するものであるところ、同三六年六月二四日、同市教育委員会から同三七年度に同市立中学校六校で使用する国語科教科書の採択に資するため、中学校教科用図書選定常任委員会委員として各出版社の国語科教科書を調査研究し同委員会に出席して意見を述べられたい旨の委嘱を受け、もつて同市教育委員会の教科書採択の事務を補助する職務に従事していたもの、

被告人中井は東京都千代田区神田神保町二丁目一〇番地に本店を有し、教科書の出版販売等を業とする教育出版株式会社の取締役営業部長として、同会社出版の教科書を全国各中学校等に販売する業務を統轄していたもの、

被告人荒木は大阪市南区北炭屋町一一番地光ビル内所在の同会社関西支社長として、被告人中川は同支社長代理として、いずれも同会社出版の教科書を関西地区各中学校に販売する等の業務に従事していたもの、

被告人杉本は大阪市西成区津守町東二丁目五二番地に本店を有し、教科書の出版販売等を業とする大阪書籍株式会社の出版部業務次長として、被告人山口は同会社の出版部業務第二課第一係長として、いずれも主として同会社出版の教科書を大阪府下各中学校に販売する等の業務に従事していたもの、

であるが、

第一、被告人浅香は

一、同三六年六月中旬頃、肩書自宅において、被告人中川および教育出版株式会社関西地区担当取締役望月芳雄の両名(共謀者被告人中井、同荒木)から、同会社出版の国語科教科書が前記堺市立中学校一五校における同三七年度使用教科書として選定採択されるよう尽力されたい趣旨で交付されるものであることを知りながら現金一万五、〇〇〇円の供与を受け

二、同三六年七月上旬頃、堺市熊野町東三丁目五二番地所在の書籍商乾保方において同人を介し、被告人中川(共謀者被告人中井、同荒木)から前記第一の一記載と同趣旨で交付されるものであることを知りながら現金三万円の供与を受け

三、同三六年九月上旬頃、肩書自宅において前記第一の二記載の乾保を介し被告人中川(共謀者被告人中井、同荒木)から同会社出版の国語科教科書が前記堺市立中学校一五校における同三七年度使用教科書として選定採択されるのに尽力してくれた謝礼の趣旨で交付されるものであることを知りながら現金二万円の供与を受け

第二、被告人多田は

一、前記選定常任委員会委員に委嘱されることが予想されていた同三六年五月下旬頃、書肩自宅において妻多田三千代を介し、大阪書籍株式会社印刷事業部営業課員森稠(共謀者被告人杉本、同山口)から、同会社出版の国語科教科書を前記豊中市立中学校六校における同三七年度使用教科書として選定するよう尽力されたい趣旨で交付されるものであることを知りながら現金一万円の供与を受け

二、前記委員に委嘱されることが予想されていた同三六年六月上旬頃、肩書自宅において、教科書の出版販売等を業とする東京書籍株式会社関西支社々員佐々木清二郎から、同会社出版の国語科教科書につき前記第二の一記載と同様趣旨で交付されるものであることを知りながら現金一万円の供与を受け

三、前記委員に委嘱されることが予想されていた同三六年六月下旬頃、肩書自宅において被告人荒木(共謀者被告人中井)から教育出版株式会社出版の国語科教科書につき前記第二の一記載と同様趣旨で交付されるものであることを知りながら現金一万円の供与を受け

四、前記委員に委嘱されていた同三六年七月四日頃、肩書自宅において前記第二の二記載の佐々木清二郎から、同記載と同趣旨で交付されるものであることを知りながら現金一万円の供与を受け

第三、被告人中井、同荒木、同中川は

一、前記第一の一記載の望月芳雄と共謀の上、同記載の日時場所において被告人浅香に対し、同記載の趣旨で現金一万五、〇〇〇円の供与の申し込みをなすとともに同一万五、〇〇〇円を供与し

二、共謀の上

<中略>

(九) 同三六年六月二六日頃、前記第三の二(五)記載の「大乃や」において、柏原市立柏原中学校々長葭仲恒三(中学校長として校務を掌つている者は、上司であり、かつ教科書採択の権限を有する教育委員会から指示があれば、自校において使用する各教科書の希望をとりとめ、教科書の適否につき意見を述べる等して同委員会を補助すべき職務権限を有するところ、同人は柏原市教育委員会から同三七年度に同市立中学校三校で使用する教科書の採択に資するため、自校において全教員をもつて組織する選定協議会を設け、各出版社の教科書の調査研究をした上各教科の希望教科書をとりまとめ、同市外三市(柏原市、松原市、河内市、枚岡市)連合の四市合同選定委員会に委員として出席し、各教科一種類を選定して報告されたい旨の委嘱を受け、同市教育委員会の教科書採択事務を補助する職務に従事していたもの)に対し、同会社出版の音楽科等教科書を同市立中学校三校における同三七年度使用教科書として選定するよう尽力されたい趣旨で現金一万円を供与し<中略>

(二) 同三六年六月中旬頃、大阪市東住吉区中野町一、〇三二番地所在の同市立中野中学校において、前記被告人浅香と同様教諭としての職務権限を有し、同市教育委員会から、同三七年度に同市立各中学校で使用する音楽科教科書の採択に資するため、各中学校で学校長を中心として全教員をもつて組織する学校調査会を設置し、自主的に各出版社の同科教科書につき調査研究をした上、一種類を選定して報告されたい旨の指示を受けていた同校々長を補佐し、同市教育委員会の教科書採択の事務を補助すべき職務に従事していた同校同科主任教諭若尾泰尚に対し、同会社出版の同科教科書を同校における同三七年度使用教科書として選定するよう尽力されたい趣旨で現金五、〇〇〇円を供与し<中略>

第四、被告人中井、同荒木は

一、共謀の上

<中略>

(三) 同三六年五月二〇日頃、神戸市長田区天神町一丁目三番地所在の寺尾宏方において、前記被告人浅香と同様教諭としての職務権限を有し、同市教育委員会から同三七年度に同市立中学校四六校で使用する社会科教科書の採択に資するため、教科書採択研究員として各出版社の同教科書を調査研究し、その適否について資料を作成し報告されたい旨の委嘱を受け、同市教育委員会の教科書採択の事務を補助する職務に従事していた同市立西代中学校同科主任教諭寺尾宏に対し、同人の隣人志智久代を介して同会社出版の同科教科書が同市立中学校四六校における同三七年度使用教科書として選定採択されるよう尽力されたい趣旨で商品券(株式会社大丸百貨店発行、額面三、〇〇〇円)一枚を供与し<中略>

第五、被告人杉本、同山口は

<中略>

(二) 同三六年五月中旬頃、大阪市南区阪町五番地所在の料理店「明日香」外二ヶ所において、高槻市立第三中学校社会科担当教頭久保義明および同市立第五中学校同科担当教頭迫田隆の両名(教頭として校長を補佐して校務を整理する者は上司でありかつ教科書採択の権限を有する教育委員会からその採択に資するため教科書の適否につき意見を求められたときは校長を補佐して意見を述べまたは選定委員会に出席して適当な教科書を選定して報告する等教育委員会を補助すべき職務権限を有するところ、両名は同市教育委員会から同三七年度に同市立中学校五校で使用する同科教科書の採択に資するため、教科代表者として各出版社の同科教科書を調査研究し各学校の希望教科書をとりまとめた上高槻市教科用図書選定委員として同委員会に出席して意見を述べ、一種類を選定報告されたい旨の委嘱を受ける予定であり、その際には同市教育委員会の教科書採択の事務を補助すべき職務に従事する予定であつたもの)に対し、大阪書籍株式会社出版の同科教科書を同三七年度における各自校希望教科書として選定し、かつ同市立中学校五校における同三七年度使用教科書として選定するよう尽力されたい趣旨で一人当り約三、八〇〇円相当の酒食等の饗応をなし<中略>。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人の主張は、要するに堺市立中学校教諭である被告人浅香、豊中市教育委員会事務局指導主事である被告人多田および判示各収賄者(供与の申込を受けたに過ぎないものを含む。いずれも市または町立中学校々長、教頭、教諭、助教諭)はいずれも判示のとおり各所管市町村教育委員会(以下、市町村委員会と略称)から、その権限とされている所管市立中学校の使用教科書の採択に資するため、各教科書出版社発行の教科書を調査研究し、場合によつてはその内一乃至数種類選定することを委嘱され(又は委嘱される予定)、市町村委員会の教科書採択事務の補助をしていたものであるが、市町村委員会が右のような諮問または調査のための機関を設置するには、法律又は条例の根拠を要するものであるところ、判示各市町村につき具体的に右機関設置を定めた法律条例はなく、仮に市町村委員会がその規則、決議等に基づいてこれを設置し、各所管市町村中学校々長、教頭、教諭、助教諭および市町村委員会事務局指導主事に対してその構成員となることを委嘱したとしても、法令の根拠に基づいて委嘱したとはいえないから、右中学校長等は右機関構成員としては刑法七条一項にいう「法令ニ依リ公務ニ従事スル委員其他ノ職員」即ち公務員となるものではない。

また、本来教育公務員(地方公務員)である右中学校長等が、所管市町村委員会から前記委嘱を受け、市町村委員会の教科書採択事務を補助する行為は、いずれもその固有の職務権限に属する職務行為といえないことはもとより固定の職務権限に付随する準職務行為、職務密接関連行為ともいえない。

従つて被告人浅香、同多田および判示各収賄者は前記委嘱によつて機関構成員としての公務員となるものではない上、本来の公務員としての固有職務権限または準職務行為、職務密接関連行為として、所管市町村委員会の教科書採択事務を補助すべき職務権限を有するに至るものではないから、教科書出版社々員等から前記委嘱の内容たる研究、調査、選定に際し自社発行教科書を有利に取扱つてもらいたい趣旨で現金等を収受しても公務員性および職務関連性に欠け、収賄罪は成立せず、教科書出版社役員や社員である被告人中井、同荒木、同中川、同杉本、同山口が、被告人浅香、同多田および判示各収賄者に対し、右同趣旨で現金等を供与し、またはその申込をしても同様贈賄罪は成立しない。よつて被告人浅香、同多田、同中井、同荒木、同中川、同杉本、同山口はいずれも無罪であるというにある。

以下、この点について順次判断することとする。

一昭和三六年当時の教科書採択手続の実情

学校教育法二一条一項(同法四〇条により中学校に準用)によると、中学校においては、文部大臣の検定を経た教科書(いわゆる検定教科書)または文部大臣において著作権を有する教科書(いわゆる国定教科書)の使用が義務づけられている。

教科書採択に関する規定を探ると、地方自治法一八〇条の八、一項および地方教育行政の組織および運営に関する法律(以下地教法と略称する)二三条六号がいずれも、教育委員会は教科書その他の教材の取扱に関する事務を管理し、執行する旨の規定をし、教科書の発行に関する臨時措置法七条一項が、市町村の教育委員会、国立および私立の学校の長は採択した教科書の需要数を、都道府県の教育委員会に報告しなければならない旨の定めをしているほかに教科書採択の手続に関する規定はみあたらない(義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律は本件後に制定施行されたものであるからこれを除く)。文部省初等中等教育局作成名義の昭和三七年度使用教科書採択事務取扱要領、竹崎敏夫、岡本虎之進の証言等によると、教科書採択の実際の手続は、教科書採択の権限が市町村委員会にあることを前提として文部省は都道府県の教育委員会が教科書の採択について、適宜、市町村委員会に対し必要な指導を行なうよう指示し、都道府県教育委員会は地教法四八条に基づいて市町村委員会に対し、教科書採択の具体的方法について指導的助言を行ない、市町村委員会はその指導助言に従つて教科書の採択を行なつていることが認められる。ところで、都道府県教育委員会は、それぞれその地方の実情に応じて適当と思われる指導助言をしているため、府県によつて採択の手続が異なつているのであるが、いずれの場合も、教科書採択の権限が教育委員会にあるとしても教科書を実際に教育の現場で使用しているものは教員であつて、いかなる教科書が採択されるかについて最も強い関心を抱いており、かつ教育の実施を通じて教科書の適否につきよく通暁している筈であるから、その意見を無視することはできず十分にこれを取り入れる必要があるとの見地に立つて採択手続が実施されている。

そこで先ず前掲各市町における教員の職務権限についての証拠を検討して、昭和三六年当時教員の意見を教科書採択に当つてどのように反映させていたかをみてみよう。

(1)  大阪市の音楽教科書の場合は、同市教育委員会の決議により各学校の校長を中心として全教員をもつて学校調査会を組織し、当該学校で使用する音楽の教科書を自主的に調査研究した上一種類を選定し、学校長がこれを同市教育委員会に報告し、同委員会はその報告通り採択する方法が行なわれていた。

(2)  布施市においては同市教員委員会の決議で各学校別に、全教員をもつて学校別調査会を組織して学校長主催のもとに教科書を調査研究し、各教科別に希望教科書を選定して、各教科書の代表者一名が共同調査委員会の委員となつて、同委員会に出席する。同委員会は各学校各教科一名の教員代表で構成され、さらに上位の合同調査委員会に対して各教科毎に一種類を選定して報告する。同委員会は最終的に一種類を選定して同市教育委員会に報告することとなつていた。姫路市、明石市、尼崎市も会の各称こそ違うが、布施市とほぼ同様の扱いである。

(3)  神戸市においては、同市教育委員会の決議で校長、教諭(各教科毎に代表者十数名)で組織された教科書採択原案作成委員会が各教科毎に二種類の教科書を選定して、教育長、指導主事等で組織した教科書採択原案審議会に報告し、同審議会はこれを審議して一種類を選定して同市教育委員会に報告する扱いとなつていた。

(4)  大東市、高槻市、堺市においては、規則を設けて、教科用図書選定委員会という諮問機関を置き、教科書を選定して各市教育委員会に答申する扱いとなつているが、委員には各校各教科毎に教員代表に一名(大東市)または各教科毎に教員代表一名(高槻市、堺市)を入れることになつていた。

大和高田市の場合は規則によらず各学校、各教科一名の教員代表をもつて構成する教科書採択委員会という諮問機関を設けており、その答申をまつて同市教育委員会が採択していた。和歌山市の場合は、これと少し異なり、各学校各教科一名の教員代表者および学校長をもつて教科書採択研究委員会を組織し、三種類を選定して、同市教育委員会および全校長をもつて組織した教科書採択校長会に報告し、右校長会がその報告を参考として選定し、市教育委員会に報告するものとされていた。

(5)  柏原市、松原市、枚岡市、河内市においては同各市教育委員会の決議により、各学校長の下に各学校別に全教員をもつて組織した選定協議会を設け、各学校長はその意見を取りまとめ、学校長をもつて組織された右四市合同の選定委員会に出席して、各教科一種類を選定した上、各所管の市教育委員会に報告する扱いとなつていた。

(6)  和泉市においては、同市、泉大津市、片岡町、高石町の二市二町の各学校の各教科主任をもつて合同の選定委員会を組織し、各教科一種類を選定の上各市の教育委員会に報告する扱いとなつていた。

(7)  兵庫県城崎郡竹野町においては、学校長の推せんで現職の教員のうちから教科書選定委員を委嘱し、豊岡市、竹野町、日高町、城崎町の選定委員と合同して各教科別に選定委員会を開き一種類を選定して、市町長、学識経験者をもつて組織した一市三町連合の教科書選定協議会に報告し、同協議会は審議をした上その結果を任意団体である一市三町教育委員会連合会(一市三町の教科委員会で組織)に答申する扱いとなつていた。

(8)  以上はいずれも教員が学校別調査会或いは選定委員会の委員として教科書の採択に関与した例であるが、堺市および神戸市においては別に教科書研究員がおかれているので、これについて一言すると研究員は教科書の採択に資するため教科書の研究を行なうことを任務としており、研究員として委嘱を受けた教員はその研究結果を神戸市の場合は教育委員会に、(神戸市では研究員が集つて研究委員会を構成していた)堺市の場合は教科書選定委員会に提出して教科書採択の参考資料に供せられた。

(9)  被告人多田は豊中市教育委員会の職員で指導主事であつたが、同市においては同委員会の決議で学校長および指導主事をもつて構成した教科書選定常任委員会を設け、ここで選定した教科書を同市教育委員会が採択するという扱いになつていた。

二教科書採択権の所在について

教科書採択の権限が教員にあるのか、教育委員会にあるのかという問題は、教員の職務権限を考えるに当たつて重要な影響を持つから、この点から考察を進めよう。

検察官、弁護人は共に教科書の採択権は市町村委員会にありとして疑わず、前記一、において述べたとおり、文部省も同様の見解をとり、教科書採択の実際の手続もこの解釈を前提として行なわれている。しかしながら、前掲各法条自体、いずれも市町村委員会に所管市町村立中学校の使用教科書採択の権限がある旨明確に規定していないので、市町村委員会は単に教科書採択に関する附随的手続的事務を取扱いうるに止まり、教科書採択権自体は他にある(例えば、各中学校全教員をもつて構成した教員組織に教科書採択権がある)と解しうる余地があるが前記教科書の発行に関する臨時措置法七条一項の規定は、国立私立の学校長と対比して市町村委員会が教科書採択権者であることを当然前提としているものと解せられ、又他に教科書採択に関する規定がない以上、前記地方自治法一八〇条の八、一項及び地教法二三条六号が、単に教科書採択に関する附随的手続的事務のみを市町村委員会の権限として規定したに止まると解するのは妥当でなく、当然に右事務の論理的前提であり、より基本的事項である教科書採択権自体をも市町村委員会の権限に属するものとしてあわせ規定したものと解すべきである。従つて当裁判所は、教科書採択の権限が市町村委員会にあると解した場合に本件被告人らの所為が贈収賄罪を構成するかどうかを検討することとする。

三諮問機関構成員たる身分と公務員

検察官は、高槻市、大東市のように、市町村委員会の規則によつて、教科用図書選定委員会を設けているときは、市町村委員会から選定委員会の委員となるよう委嘱を受けると法令により公務に従事する委員ということができるから刑法上の公務員であると主張し、弁護人は公務員の身分を取得するものではないと反論しているので、検討する。

市町村委員会は地方自治法一三八条の四、一項および一八〇条の五、一項により普通地方公共団体(本件の場合市町村)の執行機関として設置される委員会(いわゆる行政委員会)であるが、同法一三八条の四、三項によると普通地方公共団体は法律または条例の定めるところにより、執行機関の附属機関として自治紛争調停委員、審査会、審議会、調査会その他の調停、審査、諮問又は調査のための機関を置くことができる旨定められている。判示第五の一の(二)乃至(四)の各収賄者はいずれも市町村委員会の諮問機関の構成員として前記委嘱を受けたものと解されるところ、執行機関である市町村委員会がその附属機関として諮問機関を設置するためには、右規定により法律または条例の根拠規定が必要であり、法律または条例の規定に基づいて設置された場合であれば、その構成員は前記公務に従事する資格が法令に根拠を有するものとなるから、刑法七条一項にいうところの法令に依り公務に従事する委員として公務員の身分を有するものというべきである。

しかしながら、前掲大東市、高槻市の収賄者の職務権限についての証拠を検討すると判示各場合に、各市教育委員会は附属機関として諮問調査機関の設置を定めた法律条例が全くないのに教育委員会規則で諮問機関として教科用図書選定委員会を設置していることが、明らかである。

教育委員会規則により右機関設置を定めた場合、同規則は抽象的通則的規定として刑法七条一項にいう「法令」には一応該当するといえるとしても、地教法一四条一項によると、市町村委員会は法令または条例に違反しない限りにおいて、その権限に属する事務に関し、教育委員会規則を制定することができるとされているのであるから、教科書採択に関する事務についてであつても規則を制定して、教科書の採択に資するための諮問機関を設置することは、前記地方自治法一三八条の四、三項および地教法一四条一項の規定に違反するものといわなければならない。従つて仮に教育委員会規則でこれを設置する旨規定し、委員を委嘱しても委嘱は法律上の効力を生ずるに由なきものといわなければならない。委嘱の手続に軽微な瑕疵があるにすぎない場合と異なり、委嘱そのものに関して根拠となる教育委員会規則が前記各法条の明文の規定に違反しているのであるから法令により公務に従事する委員として刑法上の公務員といえないことは当然であろう。この点に関する弁護人の所論は相当である。

そうしてみると、大東市、高槻市以外の場合にも諮問機関設置の根拠となる法律条例のないことが、証拠上明らかであるから、教育委員会規則によらず単なる決議や慣例で右諮問機関の設置を定めているにすぎない場合にその委員となつても、そのことによつて刑法上の公務員としての身分を有するに至るものでないことは一層明白である。

四中学校々長、教頭、教諭、助教諭、市町村委員会指導主事の職務権限

判示認定のように被告人浅香は堺市立中学校教諭、被告人多田は豊中市教育委員会事務局指導主事、その他の収賄者はいずれも市町村立中学校々長、教頭、教諭、助教諭であり、市町村立中学校々長、教頭、教諭、助教諭は、地教法三七条一項(市町村立中学校職員給与負担法一条)によつて、都道府県教育委員会が任命するものとされ、市町村委員会指導主事は同法一九条二項、一項、七項によつて当該市町村委員会が任命するものとされ、いずれも教育公務員特例法二条、三条が明定しているように、教育公務員(地方公務員)の身分を有する。そこで次に右中学校長等が所管市町村委員会から前記委嘱を受け、その教科書採択事務を補助することが、公務員としての固有の職務権限に属するかどうかについて検討する。

(一)  市町村立中学校々長の職務権限

学校教育法二八条三項(四〇条により中学校に準用)によると、中学校はその固有の職務権限として校務を掌り、所属職員を監督すると規定されている。従つて中学校長は学校の運営に必要な物的要素である校舎、運動場等の施設、人的要素である教職員および教育の実施(同法三五条)につき、その任務を完遂するために必要な諸般の事務を処理し、職務上の上司として教職員の監督をする職務権限を有するものと解される。

(二)  市町村立中学校、教頭、教諭、助教諭の職務権限

学校教育法施行規則二二条の二、三項によると教頭は校長を助け校務を整理するのが本来の職務であり、学校教育法二八条四項、七項(四〇条により中学校に準用)によると、中学校教諭はその固有の職務権限として児童生徒の教育を掌り、助教諭は教諭の職務を助けると規定されている。従つていずれも直接的具体的に教育の実施(同法三五条)をなすべき職務権限を有するものと解される。

(三)  市町村委員会事務局指導主事の職務権限

地教法一九条三項によると、指導主事は上司の命を受け、学校における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項の指導に関する事務に従事すると規定されている。従つて指導主事は中学校長、教頭、教諭、助教諭の児童生徒に対する直接的な教育実施を指導助言し、間接的に教育実施の職務権限を有するものと解される。

従つて以上いずれの場合においても、市町村委員会から前記委嘱を受けて、その教科書採択事務を補助すべき固有の職務権限がある旨明定した規定はないことになる。検察官は市町村委員会から前記委嘱を受け、教科書の調査、研究、選定を求められた場合はもとより、委嘱がなくても自主的に調査、研究、選定して積極的に市町村委員会に報告する場合も、当然前記中学校長等の児童生徒に対する直接間接の教育実施という固有の職務権限に含まれると主張する。しかしその根拠とするところの教育実施に当たつて前記のように検定教科書もしくは国定教科書の使用が義務づけられている事実は、中学校長等に対して、市町村委員会が採択した教科書を使用して具体的に教育実施をなすべきことを定めたにすぎないものと解すべきであつて、教科書の採択に関し、これに資するため、市町村委員会から委嘱を受け、または受けなくても、各教科書出版社発行の教科書を調査、研究し、または一乃至数種類選定して、市町村委員会の教科書採択事務を補助することまで中学校長等の固有の職務権限とする趣旨とは解されない。

次に、市町村委員会から前記委嘱を受けて、その教科書採択事務を補助する行為が、右中学校長等の固有の職務権限に附随する準職務行為または職務密接関連行為となるかとの点について弁護人はこれを消極に解すべきだと主張するので検討する。

(1) 市町村立中学校々長、教頭、教諭、助教諭の場合

市町村立中学校々長、教頭、教諭、助教諭は、地教法四三条二項(市町村立学校職員給与負担法一条)によると、その職務を遂行するに当たつて法令、当該市町村の条例および規則並びに所管市町村委員会の定める教育委員会規則および規程に従い、かつ市町村委員会その他職務上の上司の職務上の命令に忠実に従わなければならないとされ、市町村委員会が職務上の上司であることが明定されている。

市町村委員会は前記のとおり、所管市町村立中学校の使用教科書採択の権限を有するのであるが、その職務権限、職務内容は多岐広汎に亘り(地教法二三条)、その構成員である教育委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術および文化に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て任命するものとされており(同法四条一項)、必ずしも教科内容、教育実施等について専門的知識、経験を任命の資格要件として要求されておらず、非常勤であつて(同法一一条四項)、その数も三乃至五人とされている(同法三条)のであるから、中学校の使用教科書採択にしても(他に市町村立小学校、高等学校の使用教科書採択権がある)、学年別、教科別(学校教育法施行規則五三条参照)、更に基本的には学校別に教科書を採択しなければならず、各教科書出版社発行の極めて多数にのぼる教科書(検定教科書)を全て自ら調査研究した上、選定し採択することは事実上不可能に近いものといわなければならない。

これに対して、市町村立中学校々長、教頭、教諭、助教諭はいずれも教育公務員として前記のように固有の職務権限として直接、児童生徒に対する教育の実施という職務に従事し、教科内容、教育実施方法等につき専門的知識、経験を有するものと考えられる。更に前記のように教育の実施に当たつて教科書の使用が義務づけられているのであるから、当然教育の実施に際して、市町村委員会が採択した現に使用中の教科書のみならず、翌年度に使用すべき教科書の採択に無関心ではありえず、各教科書出版社発行の教科書を展示会等において調査、研究し、抽象的に見た場合の優劣および具体的に教育の場で使用する場合に、児童生徒の学力、能力、授業の進展、地域社会の特殊性(都市か農村か等)に応じているか等、教科書の採択にとつて有効適切な意見を比較的容易に形成し、そのうちから一乃至数種類を選定することができるものと考えられる。

従つて、市町村委員会が教科書の採択に資するため、中学校長等に前記委嘱をし、教科書採択事務の補助をさせることは合理的かつ合目的々と考えられ、委嘱の内容は要するに翌年度の教育実施に不可欠の教科書採択に関するものであつて中学校長等の教育実施の職務権限と密接な関連を有するものである。市町村委員会が教員に補助を求める形式は、選定委員等に委嘱するという形式をとつているものの、市町村委員会名義(高槻市、大東市、和泉市等)教育長名義(堺市、神戸市の研究員等)任意団体である教育委員会連合会の会長名義(竹野町)教科書選定協議会名義(明石市等)といつたように一定しておらず、委嘱状という文書(高槻市、大東市、和泉市等)による場合と口頭による場合(布施市、大阪市等)被委嘱者の名簿を回覧に付するという方法による場合(尼崎市の教科書専門委員会、豊中市等)等に分かれている。市町村委員会がその職務権限に属する事項について教員に補助を求める形式については、法に何の定めもないのであるから、実質的に市町村委員会から教員に対し補助を求めたと認められる行為があれば足りるものと解すべきであり、教育委員会名義の文書による委嘱状がでていなくとも実質的にみて教育委員会の依頼があり、教員がそれに応じて教科書採択の事務を補助している以上、適法な職務行為であるといつて何ら差支えないと考える。

(竹野町の場合は連合会々長が竹野町の教育長で、このような形で委嘱することは同町委員会で承認していたものであり、明石市の教科書選定協議会が委嘱する場合でも、教育委員会がそのような方法で採択することを決議しているのであるから、協議会は、実質上委員会の委任を受けて委嘱しているとみられるのである)

ところで弁護人は本件市町村委員会の委嘱行為は合法的な根拠に基づいていないからいかなる意味においても無効であると主張している。なるほど、市町村委員会が規則や法議によつて諮問機関を設置し、その委員に教員を委嘱しても、刑法上の公務員という身分を取得するものではないことは、三、において説示したとおりである。しかしながら、一、において述べたとおり、市町村委員会が選定委員会等の諮問機関を置いたのは、地教法四八条による府県教育委員会の指導助言に基づくものであること、広く教員の意見を反映させて適切な教科書を選定するための方策としてとられた行政措置であり、市町村委員会のもつ教科書採択の権限を適正に行使するためには教員の意見を聴かなければならないが、教員一人一人の意見を聞くよりは委員会を組織して研究討論を尽し統一した意見を出してもらうのが適切であることを考えるとこのような形(事実上組織した委員会)で教員に市町村委員会を補助させることは、絶対的に法の禁止するところだとまではいえないというべきである。ただ委員という名称を附しても刑法上の公務員ではなく、委員会という名称を附しても地方自治法で認められた諮問機関として公法上の権限をもつものではないという限度において無効であると考えれば足りる。

従つて以上のように教育委員会の求めに応じて教科書採択に資するため任意に委員会を組織して意見を統一して述べる等の行為は上司たる市町村委員会の仕事を補助する意味において有効な行為であり、教員の職務であると考えられるが、また一面においていかなる教科書が採択されるかということは、教員本来の職務である教育の実施に密接な関係を持つものであることは前に述べたとおりであるから、この意味でも教員の職務行為であるというべきである。しかるに弁護人は中学校教諭等の職務権限は児童の教育にあつて教科書の採択とは全く無関係であるから、選定委員となり又は研究員となつて意見を述べ、答申して市町村委員会の教科書採択に関する職務の執行に参加協力していても、本来の職務と密接な関係のある行為とはいえないと主張するが教諭等が児童生徒を教育するに当たつては一般に教科書を使用して行なわれているのであるから、どのような教科書を使用するかはその教育の実施と極めて密接な関係にあることはいうまでもないところであり、その使用教科書(市町村委員会が使用するのではなく、教諭等が使用するのである)の採択に際して、いかなる教科書が適切であるか意見を述べて市町村委員会の教科書採択に参加協力することは、教諭等の本来の職務と密接な関係があることは極めて明白であるといわなければならない。従つてこの点に関する弁護人の所論は採用できない。

(2) 市町村委員会事務局指導主事の場合

指導主事は地教法一九条二項によつて市町村委員会に置かれ、その任命資格として教育に関し識見を有し、かつ学校における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項について教養と経験のあることを要求され(同条四項)、前記のとおり指導助言によつて間接的な教育実施をする職務権限を有している(同条三項)ものであり、同法二二条、地方公務員法三二条によると、その職務を遂行するに当たつて、法令、条例、地方公共団体の規則および地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ上司の職務上の命令に忠実に従うことを義務づけられているのである。

被告人多田は判示のとおり豊中市教育委員会事務局指導課の指導主事をしていたものであり、同課は教科書採択に関する事務を分掌していたものであるから、同市立中学校の昭和三七年度使用教科書採択に関する事務を他の指導主事が現実に担当していたとしても、同じ課の指導主事である被告人多田は、何時でも右事務の担任を命じられる地位にあつたものであり、指導主事としての固有の職務のなかに教科書採択に関する事項が含まれていないとしても、事務局の職員でありかつ被告人多田の所属する課の分掌とされている以上上司である同市教育委員会から委嘱を受ければ判示のとおり教科書選定常任委員会の委員として教育委員会の教科書採択事務を補助すべき職務に従事しなければならないことはいうまでもない。

以上の次第でそれぞれ判示各金員を収受し、または供与の申込を受けた者の職務権限を判示のとおり認定して、贈収賄罪の成立を認めたものである。

よつて主文のとおり判決する。(松浦秀寿 黒田直行 中根勝士)

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